来福酒造

625の組合せを可能にした「チャレンジ」

茨城県に位置する来福酒造は1716年創業、「来福」のブランド名でお酒を醸しています。来福の名前は、ある俳句の「福や来む」から名付けられ、おめでたい名前のお酒になっています。

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来福酒造はもともと、製造するほとんどのお酒が普通酒で、全て地元向けに販売される地元に密着した酒蔵でした。 大きく変わり始めたのは、東京農業大学を卒業し、他社で修行していた藤村俊文社長が蔵に戻った1997年頃から。 蔵に戻った1年後に製造を担当していた杜氏が引退したため、そのタイミングで杜氏制度を廃止、社員による製造へと切り替えました。

業界的にも杜氏制度を取りやめる蔵が出始めた時期で、製造に関する勉強会実施や新たな設備投資によって酒の品質が上がってきていました。 また、世間的にも日本酒専門店のオープンや、ブルータスやダンチューなどの雑誌が日本酒特集を組むなど、日本酒に注目が集まり始めた時期と重なっています。

それまでは新潟のお酒以外は売れない、というイメージがありましたが、酒類販売店が地方の酒をフューチャーするようになり、SNS等で一般消費者が日本酒や酒蔵についての情報を得られ始めたことで、日本酒業界全体で全国的に地方の酒蔵にも追い風が吹いていました。

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(左から)杜氏と藤村社長

こうして内外から業界全体が変革期を迎える中、藤村社長は蔵を継いだのです。

醸造用タンクを全て捨てた覚悟とは

すべての仕込みを小さいタンクで 藤村社長が手始めに行なったのは、大きなタンクでの製造をやめること。これは年間約36,000L近くあった製造量を大幅に減らすことを示しています。 蔵にあった大きなタンクはほとんど破棄。タンクによっては大きすぎてそのままだと蔵から出せないため、中で解体してから運び出したものもあったのだそう。

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小さいタイプのタンク

小さいタンクを選んだのは、新たな醸造に挑戦したかったからでした。これにより新商品を醸す際に少量で試験醸造ができ、大きなタンクでの“ぶつけ本番”製造を避けることが可能になり、2種類のタンクで比較しながらの仕込みも対応可能に。8%精米のお酒を醸したときも、徐々に精米歩合を変えて試験醸造しながらのチャレンジだったそうです。またオリジナルのお酒製造も積極的に請け負っています。 本当はキャスターがついてるタンクを作って、蔵見学者に発酵している様子見せたかったのだとか。

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精米歩合8%の酒米

その他にも、全体で同じ量を仕込むのでも、少量ずつ多くの種類を仕込むことができるため、商品数を多く揃えられます。その結果、販売店や一般消費者のそれぞれのニーズに合わせた提案が可能になりました。一言で販売店といっても、店の立地や得意とするお酒のタイプなど、店のスタイルはそれぞれ。商品数を増やすことで、店に合わせた提案が可能になったと言います。 また、一般消費者も今は定番商品をずっと飲むより、様々な味を冒険したいとの要望があるため、毎月1種類は新商品をリリースし、季節やハロウィンなどのイベント企画商品も増やし、手に取ってもらいやすい商品展開を行なっています。

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秋の季節商品

25種類以上の酵母・酒米を使い分け

もともと色々チャレンジをするのが好きで、他の人と同じことをしたくない性格だと話す藤村社長。その性格は酵母や使う酒米の選定にまで現れています。

来福酒造で使う酵母の数はなんと25種類以上、酒米も同じく25種類以上を使い分けます。 花酵母を使い始めたのは、ほかの酒蔵との違いを出すためだったと言います。

1998年頃に花酵母が開発され、蔵に戻る時に東京農業大学の中田教授を訪ねて貰い受けたのが始まりです。最初はなでしこの酵母からスタートし、今では酵母の数は25種類まで増えました。酵母は、中田教授の研究所から清酒酵母として使えるものが出されるので、それを基に蔵で培養しています。

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様々なタイプのお酒を用意

何の酵母を使うのかは、米の種類、味の方向性によって判断しています。これだけの米と酵母の種類を持っていると、酒の会を2回続けて実施しても全部提供する商品を変えられるのだとか。老若男女全員に楽しんでほしいので、バリエーション増やしたいとの思いが込められています。

全国の田んぼがお酒のふるさと

もう一つの特徴である米。これにも藤村社長のチャレンジ精神が詰まっています。

酒蔵によっては、地元の米のみを使う、決まった酒米のみ取り扱う、との方針を持っていますが、来福酒造では様々な酒米を使います。これも他社との差別化を出すため。

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製造用の酒米

藤村社長は、「国産米を使うことがテロワールになる」との考えを持っており、地元米にこだわらず適地適作をモットーにしています。土の質と酒米の性質の相性の良さを第一に考え、使いたい米があれば、その酒米に最も合う土地の農家に栽培を依頼しています。コロナの時期を除き、20年間毎年全国の契約農家への訪問を恒例にしていたそうです。

地元米を使っているという理由で地元の酒販店に売れる場合もあれば、農家さんから自分が育てた米でお酒を醸してほしい、との依頼もあるのだとか。こうしてお米の縁が繋がっていき、新しい米が手に入りそうならまず試してみることを繰り返しているのだそう。

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樽貯蔵にも取り組んでいる

そんな藤村社長、かつて茨城県で栽培されていたものの、今では生産されなくなった「常豊」という酒米を復活させています。九州大学の研究所に残っていた中から21粒を譲りうけ、少しずつ増やしていった結果、今ではこの酒米を使ったお酒を醸造できるほどまで生産量が復活しました。常豊を選んだ理由が、今でも復活できそうな米がこれだったから。どこまでも「チャレンジ」の文字が見えてきます。

今も現状に満足はしていない、オーソドックスなものではなく、もっと挑戦したいと話す藤村社長。これからも「挑戦」を続ける来福酒造からどんなお酒を醸すのか、目が離せません。